鮎ログ~~

ダライ・ラマとアライグマで、韻を踏めます。おもろい本やイケてるラッパーを紹介します。

何者かになりたい!という気持ちとの付き合い方。

こんにちは!

 

あゆむです!



今日はアイデンティティー」的なことについて書いていきます。



みなそれぞれ、ある段階で「~になりたい!」という気持ちを持ったことってないですか?

 

例えば幼いころ

 

・野球選手になりたい!

・ケーキ屋さんになりたい!

・お母さんみたいな人になりたい!

 

そんなことを突発的に思ったことって、あると思います。

 

「何かになりたい!」

 

そんな憧れがあるからこそ、セーラームーン仮面ライダーが流行るし、ハロウィンなんかも盛り上がる!僕はそんな風に思っています。

 

その気持ちの程度はともかく、だれしも少なからず「自分以外の誰か、何かになりたい!」と感じているものです。



しかし、この「~になりたい!」という気持ちは、意外とプラスの方向には働きません。

 

 

なぜか?

 

決まってます。それは自分が望んだものにはなかなかなれないという現実があるから。

 

特に今の若い人は「何者かになりたい!」と過剰に思い過ぎています。

 

 

無論僕だって、何かになりたい!と、今だって思ってます。別に今の仕事に明確な不満があるとかそんなわけじゃなくって、自分の特技がパチッと嵌って、それによって周りの人が無条件で認めてくれるような何かがほしいなって思いますよ。

例えば写真が大好きな人が実際にフォトグラファーとして生計を立てていけることって、いいなあ!っておもいませんか?自分が望む何者かになって、それによって生計をたてることって、かなり凄いことのように思えます。



何かになりたい!って、なんで思うのか、まだいまいちわかんないですが、

 

きっと僕自身、自分に自信がないんです。

 

だからこそ、自分で自分を保つために、何者かになりたい。分かりやすく何かになれば、それ自体が鎧となって自分をうまく守ってくれるんじゃないか?

 

そんなことを一時期結構考えてました。



でも、分かりやすい何かになるのは難しいです。スポーツ選手や漫画家や料理人等々。それはほとんど自己を表現することにつながり、自己を表現することでメシを食って生きるなんてことは運や才能が必要な世界。



それにしてもなんで今、こんなにも「何かになること!」を渇望している若者が多いんでしょうか?



その理由は最近、ある本を読んで納得しました。ビートたけし「新しい道徳」って本です。

 

 



簡単にまとめると、

 

今の若者は基本的にモノが溢れている時期に生まれ育ち、「食えないこと」の恐ろしさを知らない!

 

 

僕はこれをみて、ああなるほど!だからか!と思いました。



そもそも昔は自分の希望を自由に追うなんてことが難しかったんです。親の家業を継ぐのが当たり前であったりと、今より自由の幅は狭かったんだと思います。



では現在はどうかというと、それぞれの「やりたいことをやろうぜ!」って風潮が割とあって、一見とても素敵な時代なんですが、

 

やりたいことって何?俺って何が好きなんやろ?何かにならんとアカンのかな?と逆に迷ってしまったんですね。

 

自由すぎて、逆に縛られだした!おもろいですね…。

 



何かになりたい!と過剰に思い詰めることは、どう考えても生き辛いです。ほとんどの場合、日常に溢れる喜びを奪われてしまいます。



日々を精一杯生きながら、今日を無事終えたことへの感謝に浸りながら寝床につくことって、そんなにむずかしいことなんでしょうか?



自分の欲望や夢を追うのは自由ですが、どんな風に転がろうと自己肯定感によって支えられるべき。そうであってほしい。



うまくいかない時期をもっとうまく過ごしてほしい!



そう思って、徒然と綴ってみました。