いじめ自殺ではなく、「いじめ殺人」。自分に合う場所へと逃げてしまおう。
痛々しいニュースが連日のように続いています。
もう、「いじめ自殺」というこのキーワードを連日のように耳にするようになりました。耳が慣れ、目が慣れ、本来強い憤りを覚えるはずが、最近は淡々と思うにとどまり、特別な感情を抱かなくなってきている。これは怖いことだと恐ろしくなる。
大学時代に出会ったある先生が言っていた
「異常なことを異常だと感じなくなることが異常である」
という至言をふと思い出す。まさにその通りのことが起こってしまっている。現実はまさに異常の一言に尽きる。
いじめについていつも僕が思うことは、いじめ自殺ではなく、「いじめ殺人」だということ。
一人を徹底的にいじめ抜き、暴力を浴びせたり、そこらの刃物よりも鋭利な言葉の刀を振りかざし、結果その人を死に追い込む。これのどこが自殺?なのかわからない。自殺というえげつない選択を決行させるまでイジメまくった、加害者側による殺人に思えてならない。
そしてここまで「いじめ」が社会問題化し、ジャーナリズムの渦中に常にあってもなお、いじめはなくならない。時代が悪いとかどうとかではなく、大昔から歴然と存在する大きな問題として在りつづけている。報道に取り上げられて会見を開く学校は依然として隠ぺい工作に余念がなく、「事実を確認中」「そのようなことがあるとは気づかなかった」などとお決まりの御託を云々主張しながら、人が死んだという重い事実を正面から捉えようとはしない。
僕としてはもう、いじめに合っている人は、とっとと学校を止めて別の場所に逃げるに越したことはないと思ってる。理不尽に傷つき、辛い思いをしながら重い足をひきずってまで登校する意味はどこにもない。最低最悪の場所からは逃げるに尽きる。自分を壊されない内に早めに手を打ち、快適な空間へと移動することが大事だと思ってる。
学校側は、今どうしようもなく辛い思いをしている生徒に対して、なんとか良い選択肢を教えてあげてほしい。学校が合わない子に何とかして学校を好きになってもらう努力をするのではなく、新たな学校や居場所を紹介するなどしてあげてほしい。
今、通常の学校に行くという選択肢以外にも、様々な選択肢が存在すること。そしてそういった選択肢が割と一般的に認知されつつあるということ。今いる学校をやめたとしても、他にも行ける場所がたくさんあって、後ろめたく思う必要なんてないということ。僕はこのことを主張していきたい。
例えば定時制や通信制高校、フリースクール。最近はオンラインで授業を実施している高校も珍しくない。さらにはスマホやタブレットを用い、自らのネット人格「アバター」を使って登校するといった驚くべきことを実施している学校もある。
*参考のため、一部の学校のURLを貼っておく。
今まさにいじめの被害にあっている人。そうでなくても今いる学校がたまらなく生き辛いと感じている人。ひたすら辛い思いをして、我慢してまで登校する必要はない。といっても、すぐに学校を辞めろなんて言っても困惑するだろうから、とにかく一旦学校を休んで、インターネットで色々しらべてみてほしい。
すると、今通っている学校が全てではないことが分かると思う。学びたいこと、やりたいことを諦める必要なんて全くない。学校一つとっても、その種類や形態は様々だし、学校以外の場所だってたくさんある。
多くの人が今いるどうしようもなく苦しい状況から抜け出し、自分にあった場所で輝けることを願って、この記事を終わりとする。